建築の境界を超越し続ける建築家「フランク・ゲーリー」

Frank Gehryの経歴

アルヴァ・アアルトに影響を受け、モダニストとして、彼は常に建物をいかに「人間化」するかに焦点を合わせてきました。そして、その答えは素材の独創的な活用でした。

彼のアプローチは、伝統的な建築家というよりも、常にアーティストに近いものでした。現代画家のロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズのように、ありふれた素材を並置することで美を生み出しました。

初期の建築物には、波形トタンと金網フェンスが組み込まれていました。初期の家具は、建築模型の廃材からインスピレーションを得た段ボールのロールで作られていました。 批評家たちは、彼の建築物が古典的でなく、奇妙な色彩で、規模が大きすぎるため、好んでいませんでした。当初は仕事もあまりありませんでした。

しかし、ゲーリーは動じませんでした。「アイデアを実現するには、あらゆるルールから自分を解放する必要がある」と。1962年、ゲーリーは自身の事務所を設立しました。彼のアイデアは、世界で最も素晴らしく創造的な建物のいくつかへと繋がりました。

ゲーリーは1997年、独特のチタン張りの曲線で知られるビルバオ・グッゲンハイム美術館で名声を博しました。 それ以前のヴィトラ・デザイン・ミュージアムなどの作品も、革新的なデザインで高い評価を得ました。 ロサンゼルスのディズニー・コンサートホールは 2004年に大成功を収め、光沢のあるステンレス製の帆が太陽の光を浴びて輝いていました。

フランクゲーリーがデザインしたHellerスツール

ゲーリーの創作手法は、驚くほど触覚的です。彼は常に手作業を好み、子供の頃の最も楽しい瞬間のいくつかは、組み立ておもちゃで遊んだ時間だったと回想しています。 大学時代に陶芸の授業で腕を磨いたことがきっかけで、ある講師から建築の道に進むことを勧められました。テクノロジーがこれほど普及した現代においても、ゲーリーは紙とインク、そしてハサミに頼り、デザインに命を吹き込んでいます。

まず、クライアントの指示、建物の立地、そして目的を完全に理解する必要があります。情報があればあるほど、創造の自由度が高まると彼は考えています。

次に、彼はざっくりとしたコンセプトスケッチを描きます。チームと協力して、素材を切ったり、折ったり、折り曲げたり、潰したり、接着したりして、様々なサイズの模型を作ります。 気に入った模型ができたら、それをスキャンして建築図面を作成するコンピュータープログラムに取り込みます。

フランク・ゲーリーのユニークなビジョンにより、1989年のプリツカー賞、1998年の全米芸術賞、1999年のアメリカ建築家協会金メダルなど、数々の栄誉を獲得しました。彼は独創的で物議を醸すビジョンを持ち、創造的なリスクを負い続け、建築の境界を超越し続けています。

Frank Gehryのプロダクト

建築物で多大な功績を築き続けているGehryですが、プロダクトはそう多くは手掛けていません。 代表的な家具は段ボールを用いたVitra社のウィグルシリーズ(1972)、Knoll社の曲木家具コレクション(1992)、emeco社のアルミ素材のチェア「Superlight(2004)」と、どれも類を見ないデザインと材質(段ボール、曲木、アルミ)を用いた挑戦的でハイセンスなデザインです。

フランクゲーリーがデザインしたHellerスツール

Gehryが次に挑戦した素材は樹脂。形状の自由度が高い回転成形はGehryの建築を再現するのに最も適した製法でした。
※回転成形法は粉末成形法のひとつで、熱可塑性の粉末樹脂材料を金型内に入れ、加熱炉の中で360°回転させながら、型の内面に材料を均等溶融させ、冷却固化して成型品を得る方法。

シンプルな形状ですが角度により異なった表情を見せるGehry Cubeは国際的なコントラクト見本市「Neocone」で最優秀賞を受賞しました。Silver、White、Blackの後に鮮やかなGehryらしからぬレッド・ピンク・イエロー・グリーン・ブルーを発表しました。 これは親交の深いフランス人アーティストのSophie Calle(ソフィー・カール)と協業したla telephone(花を模した彫刻)の色彩からヒントを得たと後に語っています。

フランクゲーリーがデザインしたHellerスツール

Hellerからはスツールをはじめテーブル、ベンチ、ソファをそれぞれ8色展開しています。屋内屋外兼用のポリエチレン製、一般住宅でもコントラクトユースでも使用できる フランク・ゲリーの商品一覧はこちらからご覧ください。